IMG_3259

誰に褒められるでもない、けれど良い仕事。

だれもがみな褒められ足りていない。だからこんなにも憎しみや嫉妬が世の中に溢れているのだろうか。もっと互いに褒め合えばいいのに。でも実際は貶しめ合い、嫉妬し合い、辱め合う人間ばかり、みたいな世の中のように感じる。

どんな物事も、ムズカシイと思うとやってみれば案外カンタンで、カンタンだと安易に考えていると実際はとてもムズカシイものだ。もし今ぼくらの目の前にあるナニカが、あたりまえのような顔をして存在しているのなら、そのナニカはカンタンに生まれたもののようでいて決してそうではなく、きっと誰かによって練り上げられたムズカシイ仕事の成果なのではないだろうか。だれかの創意工夫や苦心の果てに人間の行為の文脈に沿った合理的なモノに仕上げられたからこそ、なんらの違和感を感じさせることもなく、また大きな存在感を放つ理由もなく、そのナニカはそこに平然とあるのだろう。

だれに気づかれることもなく、まして褒められることもなく、それでも静かに淡々と、良い仕事をしてきた人たち。そういう口数の少ない人たちによる良い仕事のおかげで今というときがつくられている。そのことに感謝すること、そのような仕事をする自分であろうとすることは、やさしいことではない。

obin

裏テーマ。

さあ書こう、というとき、テキストはいつもテーマを持っている。

テーマは、テキストを推進する力となる。けれど一方で、テーマがあるがゆえに、いろんなことが書けすぎてしまう(?)とか、どうもいつかどこかで聞いたことがあるような話に落ち着いてしまいそうになるとか、あまりうまくいかなそうな場面が生じることは多々ある。

そういうときには、なにか別の、やや遠いところにあるような条件を新たに設定する、ということを試したい。「裏テーマ」をあえて(だれに言われるでもなく)つくるのだ。例えば、テーマは「セーター」で、「記憶」を裏テーマとする。素材についてでもなく、編み方についてでもなく、「記憶」という第2の軸をわざと立てることで、セーターを語るテキストに思いもしなかった奥行きが生まれた、みたいなことになるときがある。

裏テーマについては必ずしもはっきりと書かなくても良いかもしれない。なんとなく想像するだけでも、意外なワードが入ってきたりして、テキストになんらかの影響が及ぶ。そうしてわずかな揺らぎのようなものが生じることで、テキストが煌めきだすのだ。